2012年7月28日土曜日

坂本龍一+編纂チーム編『NO NUKES 2012 ぼくらの未来ガイドブック』

今月、7日と8日に行われた「脱原発」音楽フェスティバル、"NO NUKES 2012"にともなって発売された本。音楽フェスのガイドブックや記念本というより、あのイベントを行った人たちが、「脱原発」に関して最低限伝えたかったことがまとめて読めるという感じの内容です。できるなら眼を背けたいような事柄もたくさん、というかそれがほとんどですが、こんなに最悪の事態なんだと、逆に腹がすわるようなところも。

Part1では原発をめぐる最新の状況(小出裕章)をはじめ、エネルギーシフトの可能性(飯田哲也)、健康問題(鎌仲ひとみ、肥田舜太郎)、ふくしまに暮らすこと(吉田麻里香)、国際的視点(村田光平)、お金と経済と幸せ(吉原毅)、アート(奈良美智、ヤノベケンジ)が問題の深刻さ、重さを伝えます。Part2では、音楽フェスに参加したアーティストたちの思いや、最近の「脱原発」デモについての対談が綴られています。で、ラストはカイ・ファイファーによるスペシャル・コミック「放射能は永遠に」。

正直、昨夜読み終わってからは眠れませんでした。なんで日本は世界は人類はこんなことになっちゃってるんだろう、と。

そしてものすごくしみじみと、わたしがおばあちゃんになった頃、日本が「脱原発」までなんとかたどりついたとしても、放射能の問題は消えないんだなあと、わたしの命がつきて肉体が大地の一部になっても、放射性物質は地球をめぐり、生き物たちに影響してるんだろうなあ、と遠い未来を想いました。

昨日、義理の叔父がガンで亡くなったせいか、人の命のはかなさが身にしみます。生きているうちに、わたしにできることって何だろう?




フェスの忌野清志郎スペシャルセッションで、この曲だけは清志郎が歌ってる動画がステージに流れました。



同じ曲の割烹着〜ずバージョン。あー、音楽っていいなあ。


関連リンク
NO NUKES 2012
USTREAM: NO NUKES 2012 : 双葉町町長と船橋監督のアーカイブを公開中。

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原子力発電所のこと。
再生可能エネルギーとのおつきあい。

2012年7月27日金曜日

ドイツ、脱原発宣言の背景。



東日本大震災の後まもなく、ドイツが脱原発宣言をしたのは記憶に新しいところ。上の動画は、映画『第4の革命』の監督、カール・A・フェヒナー氏に、ドイツのエネルギー事情についてインタビューしたものです。

エネルギーというと、技術的なこと、経済的なことが気になるのは、たぶんわたしだけではないと思いますが、まず大事なのは人々の気持ちと行動であって、技術的、経済的変化はそれに付随して起こるんだろうな、と感じさせてくれるお話でした。

特に心に残ったのは、ドイツの脱原発宣言の背景には、ドイツ人の自尊心、自立心の高まりについての歴史があったという説明(インタビューのはじめの部分)。もともと、ドイツは「デモ」をして国に反発するお国柄ではなかったそうですが、70年代には民主主義が若者を中心に広まり、80年代には、アメリカがドイツからモスクワへ核ミサイルを発射しようとしたのを「デモ」で止めたそう。

90年代には、グリーンムーブメントが起こり、エコロジー意識が高まるなか、1990年には電力買い取り法、2000年には再生可能エネルギー法と、脱原発&エネルギーシフトの土台ともいえる法律が定められます。その結果、2001年には全体の2.9%だった再生可能エネルギーによる発電が、現在ではなんと20%と、当初の予想をはるかに超える結果に。

ドイツ脱原発宣言の背景にあるのは、国民たちが自分の気持ちを表現し、政治がそれを受け止める、そんな信頼関係というか、コミュニティの一員であることの自覚のようなものなのかもしれません。

関連リンク
関口知宏ホームページ
エネルギー問題関連のコンテンツがたくさんあります。

第4の革命 - エネルギー・デモクラシー|100%再生可能エネルギーシフトは可能!ドイツを変えたドキュメンタリー映画

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2012年7月26日木曜日

アスファルト・コンクリートと瓦の蓄熱。

自転車や車などで移動する際に、あると便利なのがアスファルト・コンクリートで舗装された道。石がごろごろしてるような道に比べれば安定して走れるし、雨の後、水たまりでタイヤがどろどろになることもありません

うちの近所に限っていうなら、庭のほとんどをアスファルト・コンクリートで舗装してある家が少なくありません。車の駐車スペースとして使いやすいし、雑草が生えにくい、冬は雪が溶けやすいという利点があるせいでしょうか。そして、家と家の間にある道路は公道も私道もコンクリート舗装。「土」が見えてるのはプランター表面と畑と田んぼ、土手の一部、山道、といったところです。昔ながらの田舎でさえ相当にコンクリートな地面が増えてますから、都市部では土の表面を見るのって貴重なのかも、と想像したりします

以前はあまり気にしてなかったのですが、猫を飼い始めてからというもの、特に夏場は近所の道の表面温度が気になるようになりました。晴れた日の日中はもちろん、夕方、日が暮れてからも、アスファルト表面はほかほかと熱を放っています。散歩に行きたがって一緒に出かけてみた猫も、あまりの暑さに立ち止まり、涼しい場所を求めてはそこで長時間の休憩…。となると、散歩がなかなか終わらないので、夏の夕方のわたしは、アスファルトに手を置いて温度をたしかめては散歩時間を入念に見極めるようにしています。

それにしても、夏の夕方、アスファルトからたちのぼる熱気を感じつつ家々のエアコンのファンが音をたててこれまた熱気を放っているのをみると、至極単純に「これじゃ地球が温暖化しても仕方ないね」と思ってしまうのですが、数字にしてみると、このアスファルトの蓄熱ってたとえば土に比べてどれくらいなんだろう?とネットで調べてみました。

で、見つけたのが、滋賀県立大学大気水圏研究室の卒業論文「人工陸面の熱物性と大気加熱への影響」の要約。平成6年度卒業生、速水峰彦という人による研究です。ものすごくざっくり言うとアスファルトやコンクリートと瓦の表面温度や蓄熱特性を土壌と比較して、大気への影響を予測したもののようで、結論から言うと、
コンクリートやアスファルトは土壌よりも熱伝導率が2倍で、熱容量も3倍近くも大きく、蓄熱性が高いことがわかった。
コンクリート・アスファルトは日中に多くの熱を物質内部へと蓄え、夜間に放出していると考えられる。その結果大気の加熱効果はコンクリート・アスファルトで最大2℃/時間程度はあると試算された。
とのこと。つまりは、アスファルト・コンクリート(コンクリート・アスファルト)は土壌よりも蓄熱性が高く、昼に蓄えた熱を、夜放出している(と考えられる)、という結果で、わたしたちの一般的な感覚にかなり近いのではないでしょうか。

この研究でちょっと面白いのは、「瓦」を比較対象にしていることで、これについては、
瓦の熱伝導率・熱容量は土壌とほとんど変わらなかった。
瓦による蓄熱効果は小さく、大気加熱の効果はほとんどない。
となってます。蓄熱についてみると、瓦は土壌とほとんど変わらない。瓦=土と、強引に単純化すると、瓦って縦穴式住居とか、人間が土の中に住んでた頃の名残なのかしらん、なんて思えたり、瓦って一種の断熱材的な役割があるのかあと、しみじみしたり。飛躍してるとは思いますが、人が住まいに求める熱特性は昔から変わらないのかしら、なんて思えたりもします。

ところで、この「蓄熱」って観点から見た時、太陽光パネル(太陽電池)はどうなんでしょう?日本の屋根や土の上にどんどん太陽光パネルが増えていきそうな今日この頃、住まいや環境への影響がすこし気になってます。

関連リンク
人工陸面の熱物性と大気加熱への影響
速水峰彦(滋賀県立大学大気水圏研究室 平成6年度卒業論文)

2012年7月23日月曜日

その後の睡蓮鉢。

今年5月からはじめた睡蓮鉢は現在、左の写真のようにとても元気です。といってもここまで来るのに、数々の出来事がありました。

まず、当初入れてた睡蓮はまもなく枯れてしまったため、新しい鉢へと交換。それも「たぶん今年は花は咲かないでしょう」と店員さんに説明されながらも、その鉢を選んで買って来てしまった父…。店員さんの予想どおり、一応ついてた花芽はやがて元気をなくし、とれてしまいました。

が、とにかく鉢についてた育て方の説明どおり、根元に太陽の光があたるようにしていたのがよかったのか、次々に葉っぱが増え、いまではもう睡蓮鉢全体を覆いそうな勢い。特に今月、暑くなってきてから勢いがあるような気がします。睡蓮て暑いのが好きなのかも。

一方の金魚たちはというと、まず、先日の記事で書いた水中の酸素問題については、水草(特にマツモ)が生い茂るにつれ解決したようで、水面でやたらと口をパクパクさせることはなくなりました。つまり、金魚のブクブク(エアレーションポンプ)は用意したものの、出番がなくなってしまいました。「太陽光で発電して→エネループに充電して→その電気でエアレーションポンプを動かす」システムにかなり自己満足してましたけど、それをよりスマートにやってのけるのが水草なわけで。それとそう、金魚の数を当初の8匹の半分にしたのもよかったのかもしれません

とまあ、睡蓮は元気になり、金魚も落ち着いてきて、なんとなく気抜けしてたところ、季節は夏本番、睡蓮鉢の水温も30度を超える日が増えてきました。手元の金魚関連本には、水温は30度までとあるので、じょうろを使っての水換えをまめにしたり、睡蓮鉢に傘をかぶせてみたりして、なんとか冷やそうと努力。しかし気温とともに水温は上がり続け、昼間にはもう35度近くになることも。金魚は一見元気そうなのですが、睡蓮の根っこ付近のとても浅くて目立つところに身を置くことが増え、これは何のサインだろう、と思っていた矢先、悲劇が。金魚が一匹、行方不明になりました。涙

うちの庭には蛇もいますし、鳥もたくさん来ます。最近では、ムジナも出没してたし、そうした動物たちに食べられちゃった可能性は大。夜は網をかけとくとか、できることはあったのになあと悔やみつつ、今は水温問題もあるので、睡蓮鉢を移動させることにしました。涼しくて、より人の気配がある場所へ。

陽が高くなって束の間だけ光が差し込むこの場所だと、睡蓮鉢そのものというか、陶器の部分には日光はあたらず、その代わり床下からの涼しい空気が陶器を冷やし続けてくれます。今のところ水温は30度を超えることはなく、金魚たちはいい感じに隠れててくれて、一安心。

しかも。睡蓮は新しいつぼみをつけました。咲くかな、咲くといいな。


関連記事
金魚用のブクブク。

2012年7月14日土曜日

再生可能エネルギーとのおつきあい。


先日、『第4の革命 エネルギー・デモクラシー』という映画を観ました。世界では、農耕革命、産業革命、IT革命に続く、第4の革命、エネルギー革命がいま起こりつつあるよ、というドキュメンタリー映画で、いわゆる再生可能エネルギー(太陽や風や水、バイオガスなどを資源とする)が既に各地で導入されており、さらなる普及が加速していくことを感じさせる内容でした。

わたしは世界の原発が一刻も早く停止して、安全な廃炉、そして核燃料廃棄物の管理技術が確立されればいいなと思っています。また地球温暖化問題と、いつかは訪れるとされる燃料資源の枯渇を思うと、火力発電もあんまりやらないほうがよさそうだなあ、と感じています。ということは、これからは再生可能エネルギーだっ!と一時は意気込んでいたのですが、昨年の東日本大震災後、自分なりにめいっぱい節電してみて思ったのは、「これまでの生活って電気に頼り過ぎだったのかもしれない」ということでした。再生可能エネルギーで発電するのもいいけど、そもそも各個人が電気を大切に使う、そうした節電力が集まればちょっとした発電所なみのエネルギーとなる。このことは昨年の夏、多くの日本人が体感したのでは、と思います。

さらに、「電気」について調べてみると、大規模な発電所で電気を作って遠くまで送る、現在の日本の発電&送電方式にはさまざまな無駄があります。例えば、電線にだって抵抗はありますから、遠くへ送ろうとすればするほど電気は少なくなってしまいます。また、交流で電気を送るのは「遠くまで電気を運ぶ」という点では直流より効率がよいのですが、最近のわたしたちの生活にはパソコンやスマートフォン、携帯電話など、直流を使用する電化製品もあって、そうした製品を使う場合は電線からの交流の電気を直流に変換する必要があり、この変換の際にまた電気が少なくなってしまいます。太陽光パネルや風力発電機には小型のものもありますから、各家庭や地域に設置して用途に応じて使い分けるとこうした電気のロスが減ることに。また、そうして電気をつくってる現場をみれば、電気を自然と大事に使うようになり、節電力がアップするかもしれません。

ところで、再生可能エネルギーには天候に左右されるという弱点があります。そこで重要になってくるのが「電池」。 映画『第4の革命』には電池の仕組みについてある女性が熱心に説明する場面が登場しますが、そのシーンを観ながらわたしは、「電池を上手に使わないと、再生可能エネルギーもエネルギーのゴミをたくさんだすことになるんじゃないかなあ?」と思っていました。しかし、映画サイトで調べてみると、このマリア・スカイラス=カザコスという女性は『バナジウムレドックスフロー電池』という電池の開発者で、なんとこの電池は、安全に(発火・爆発が起こらない)長期間(事実上30年!)能力を維持できる上に、大規模な蓄電(メガワット級が期待されている)が可能。さらにはバッテリー液が完全にリサイクルできるという、それ自体が持続可能、再生可能な性質を持った夢のような電池だそうです。

また、この映画での電気自動車は「動く電池」としても描かれています。電気自動車のバッテリー部が規格化され、どこでも充電&放電が可能になれば、再生可能エネルギーの安定供給に一役かう存在になるかもしれません。例えば、街で買い物して帰ろうかという時に、車のバッテリーが余ってると気づいたら、ある程度放電して他の人に分けてあげる、逆に、バッテリーが少なくなってることに気づいたら、近くの給電所で電気を分けてもらう。コンビニやスーパーマーケットの駐車場、街のコインパーキングなど、さまざまな場所が電気をシェアするための場所になりえます。

とまあ、この映画をみて、いよいよ再生可能エネルギーが身近になるなあ、で、ますますつきあい方を考えといたほうがいいなあ、という気持ちを強くしていた矢先、いよいよ日本でも電力小売りが全面自由化され、発電事業と送電事業が分離する、というニュースが!どうやらわたしたちは今まさに、第4の革命のさなかにいるようです。


現在日本各地で上映中。DVDも発売されています。

関連ニュース
発送電分離、新規参入促す 広域融通も容易に : 日本経済新聞
発送電分離の方針決定、家庭向け自由化も 経産省専門委 : 朝日新聞デジタル
電力改革方針が決まる、小売自由化・発送電分離 : YOMIURI ONLINE

2012年7月10日火曜日

原子力発電所のこと。

もうずいぶん昔の話になりますが、高校時代は物理の授業がかなり好きで、なかでも眼に見えない現象の存在を証明するタイプの実験には素直に感動してました。

そのなかの一つが放射線で、物理の先生が箱のような装置(ガイガーカウンターの一種だったのかな?)で音として放射線の存在を感じさせてくれたときは、ドキドキしました。小さな原子の世界で起こってる現象をこうしてひろえるなんてすごいなあと。

理数系の学科にいたこともあって、当時は核分裂やら放射性同位体のことはもちろん、E=mc2の公式でエネルギーと質量の関係については相当に計算して実感してたはずなのですが、「原子力爆弾はとんでもなく破壊力があるなあ、こわいなあ」と遠い世界のように思うだけでした。

今思うと、当時のわたしが原子力発電所のことをリアルに想像できてなかったなんて、悪い冗談のようです。時はチェルノブイリの原発事故が起きて間もない頃でしたが、ソ連は遠くにある国で、そこから出た放射性物質が地球をめぐってるなんて思いもしませんでした。さらには、わたしが通っていた高校から30kmも離れていない場所で原子力発電所の建設がはじまっていたのですが、そのことについてなにか考えた記憶は全くありません。

原発についてほとんど本能的ともいえる危機感を感じたのは、2007年に能登半島地震が起こってからのこと。が、単に、別の発電法について調べたり実践するのみで、事故が起こったらどうなるか、実際何がどう危険なのかは、調べてませんでした。原発自体や放射性物質の人体への影響について調べ始めたのは昨年の震災後のことで、調べれば調べるほど衝撃的な事実が明らかに。調べものは好きなほうですが、知れば知るほどあんなにつらくなる調べものは初めてで、これ以上は精神衛生上悪い、と、半年ほどでやめてしまいました。

でも。つい先日の大飯原発の再稼働については、能登半島地震の時と同じくらいの危機感を感じました。日本の国民なのに、福井県のすぐ隣県に住んでる住民なのに、そんなわたしの意見をまったく無視してコトが進められてしまったから。そしてなにより、福島の原発事故の惨状を知らないはずはない政治家たちが再稼働に賛成した気持ちや理屈がわからないから…。

というわけで、多少つらくても調べものを再開しようと思います。賛成派の人たちは何を感じ、考えているのか知りたいです。どうしても原発を運転しなければならない理由って何?

ところで、政府は原発政策の今後について、意見を募集してます。わたしのようなもどかしさを抱えてる方はぜひ意見を送ってみてください。以下のサイトから簡単に送信できます。意見募集期間は7/3まで。

話そう"エネルギーと環境のみらい"

追記(7/14) 意見募集期間は8/12までに延長されました。

2012年7月4日水曜日

ベン・ウィルソン『僕たちのバイシクル・ロード』

自転車というのはほんと、スバラシイ道具。徒歩よりだんぜん速く走れるのに、「自力で」移動した感覚が持てるわけで…。

そんな、「自転車」での世界一周旅行映画、きっと面白いだろうと、iTunesでダウンロード開始。で、よくよく映画の説明を読んでみると、「ドキュメンタリー映画」だということがわかり、「どうやって撮ったの??」「撮りながら世界一周!?」と驚きつつ観てみると、撮影機材を自転車にのせて運びつつ、自分たちを撮りつつ、の世界一周でした。時間にして、約3年の旅。単にラッキーともいえるかもしれませんが、こんな無茶でもなんとかなるなんて、世界はそんなに悪くないんじゃないかとも思ったり。いやあ、無事帰れてよかったです、ほんと(以下、若干ネタバレします )。

そもそもドキュメンタリー映画って基本的につまらないことが多いかと思いますが、この映画は、自分たちで撮ったにしては、よく編集されてるなあと思いました。それと、カメラが自転車についてることで、主人公たちと一緒に進んでる感覚が持てるシーンが多々。まさに、自転車からみえる景色がたのしめる映画という点ではかなり貴重かも。

といっても、次々と変わる景色に、やってくるトラブルに、ドキドキワクワクな映画体験ではあるのですが、よい子はマネしないでね、とも言いたくなる旅です。例えば、中国を走ってる時なんて、道に迷ったまま山に自転車で登るだとか、現地の人に地名すらしっかりきけない状態で走り続ける彼ら。気づけば、大気汚染が深刻な地域に突入して顔が泥だらけに(というか、相当、有害物質を吸い込んでるはず…)。

さらには、転倒して意識不明に。頭を縫ったり、髄膜炎になって現地で寝込んだり。自転車旅行は身体が資本ですから、そこで挫折してもおかしくなかったのに、途中で帰らなかったことが素晴らしくも呆れました。さらにさらには、所持金はユーラシア大陸を横断した時点でなくなったにもかかわらず、オーストラリアへ行こうとして「船のヒッチハイク」を試みる主人公たち。見事成功して、それ以降、大陸間の移動は全て同じ方法採用。んー、今の時代、飛行機を使わないこともすごいですが、徹底してお金も使わないこの姿勢にはびっくりです。お金に頼らない生活という意味ではこの主人公たち『ぼくはお金を使わずに生きることにした』の主人公といい勝負かも。

それにしてもほんと、観ると自転車で走り出したくなるような映画です。

関連リンク
映画『僕たちのバイシクル・ロード 〜7大陸900日〜』公式サイト