2013年11月3日日曜日
カメラを修理してみたら。
部屋の片づけをしてたら、ずっと使ってなかった二眼レフカメラが出て来ました。
ホコリまみれだし、フィルムいれて数枚とってそのまま放置。という、実にかわいそうな状態で、そんなふうにものを扱った自分も嫌になりつつ、なんでこんなことになってるんだっけ?と思い返してみると、そもそもこのカメラ、2007年の能登半島地震の時に棚から落下して故障。修理にだそうもこのカメラを買った中古カメラ屋さんは既になく、どうしたものかと思ってるうちに、だんだん自分もフィルムカメラで写真を撮らなくなり、さらにはもういっそ、iphoneのカメラだけでいいや、と、フィルムから遠のいているうちに、はたと気づくと、以前ブローニーフィルムを扱ってたお店ではもうフィルムの取り扱いがなくなり、さらにはメーカーの生産量が落ちてるとか、価格の高騰とか、戻ろうにも戻りがたいところに来ちゃったのかもしれないと気づきました。
だからといってこのカメラ、捨てられるかというと捨てられず、使えるものなら使いたい。と思いはじめた時に、何度かブローニーフィルムの現像をお願いしたことがある、金沢のスターカメラというお店だったらもしかして、と持って行ってみると、こころよく修理を受けつけてくれて一安心。
しかし。頼れるカメラおじさんはすこし悲しそうに、「レンズがね…。」と言葉を濁し、修理代金も当初言ってた額の半分以下。ホコリまみれだったカメラはすっかりきれいになり、部品のゆるみもなおりましたが、全て元どおりとはいかなかったよう。それでも、持ち歩くだけで、ファインダーをのぞくだけでもかなり嬉しく、iphoneを露出計がわりに昨日は何枚か写真を撮ってみました。
正直ちゃんと写ってるかは微妙。カメラ自体の問題もあるけど、操作方法わすれてるし、たぶん、ぼけぼけとか、何も写ってないとか、撮る側のいろんな問題ありそうですが、でも写真てそういうのが全部記録されるんだなあ、これが今のわたしだなあ、と、カメラもって写真撮って歩いてるうちに、記憶の整理がすすんでいくような、不思議な感覚に。
2007年春。能登半島地震はこのカメラをこわしただけでなくて、近くに原子力発電所があるというのがどういうことなのか、実感させてくれました。で、2011年春、ちょっとヒステリックなぐらい、原発のこと考えはじめたと同時に、全く写真が撮れなくなったわたしでしたが、このカメラを修理してもらったことで、心のなかの何かが修理されたような気持ちに。
レンズの傷は傷のまま、世界をみてみればいい。
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