2013年11月26日火曜日
毛糸と編み物。
今シーズン初の編み物は、かぎ針編みのティッシュケースカバーになりました。編み図もなにもなく、ただ糸とかぎ針だけで適当につくったのですが、好みの仕上がりになってかなり満足♪
今回使用した毛糸は、手芸屋さんで買ったものではなくて、もともと母がセーターとして買ってきたもの。毛糸はすごくかわいいのに、残念ながらわたしの身体にはあわない形のセーターだったので、思い切ってほどいて…。と、わたしの記憶にあるのはここまでで、ティッシュケースカバーをつくろうと思った時、なんとなくこの糸を使用。
でも、義妹にこのティッシュケースカバーをみせたところ、「あ、ネックウォーマーと同じ糸!」との反応が。そう、この毛糸でこの春、義妹にネックウォーマーを編んだのを、すっかり忘れてました。ノリノリで記念撮影とかしてたのに、すっかり忘れてた。笑
そして、さらにまだ残った毛糸は、おなじくかぎ針編みのポケットティッシュケースカバーとなりました。というわけで、ひとつのセーターがネックウォーマーとティッシュケースカバーとポケットティッシュケースにリメイクされました。笑
とまあ、ある程度太さがあって、個性もある糸は、たのしくリサイクルできる素材として魅力的だなあと思います。
原理的には細い糸でも同じことができるはず、と、今年はハイゲージニットのセーターを淡々とほどいて紡いで、をやってはいるのですが、30時間以上作業してもまだセーターの解体が終わりません。逆にいうと、ハイゲージなものを編むには、やっぱり手じゃなくて、機械をすばやく動かして、にしないと、大変なのだなあと、実感。
なんてことをやっていると、服屋さんでセーターをみても、もっぱら気になるのは糸というか毛糸なのですが、買うのは結局ハイゲージなものだったりします。ローゲージなざっくりニットは自分でつくりたいし、というのと、ローゲージで糸もデザインもよいものは高価だからだったりしますが、これやってると、またハイゲージニットをほどいて、編みなおして、に時間をつかってしまうことに。
そろそろ覚悟を決めて、好きな糸、探しにいかなくちゃ。
2013年11月7日木曜日
壊れた物たちの病院 (the Hospital for Broken Things)
MONKEY No.1 ◆ 青春のポール・オースター(柴田元幸責任編集)
新しいもの、を入手したときには特有のわくわく感があります。それは本、そして雑誌にももちろん当てはまり、「新創刊」で「最新号」だったりすると、さらにその気持ちは高まるわけで。
と、「新創刊」で「最新号」な文芸誌、「MONKEY」の1号を読んでみたところ、ワクワクはだんだんと懐かしさへと変化。なにしろ、20年程前によく読んだ作家、ポール・オースターの青春が特集だったので無理もありません。
さらには、今だからこそ心に響くのかも、な部分もちらほら。
時間やお金に換算すると完全に負け戦なのですが、心の充足度はなかなかのものです。あとデジタルというかコンピューターについてはもともと好きだからどうしようもなく、進歩とやらになんとなくついていくのかも。でも個人的にはスマートフォン、もしかしたら要らないかも。
Sunset Park Paul Auster
新しいもの、を入手したときには特有のわくわく感があります。それは本、そして雑誌にももちろん当てはまり、「新創刊」で「最新号」だったりすると、さらにその気持ちは高まるわけで。
と、「新創刊」で「最新号」な文芸誌、「MONKEY」の1号を読んでみたところ、ワクワクはだんだんと懐かしさへと変化。なにしろ、20年程前によく読んだ作家、ポール・オースターの青春が特集だったので無理もありません。
さらには、今だからこそ心に響くのかも、な部分もちらほら。
病院はオースター作品の主要な要素ではない。が、二〇一〇年刊、小説としてはいまのところ最新作である『サンセット・パーク』には、「世界一小さな病院」が出てくる。小説の中の病院ですが、こういうとこあったら、行ってみたいなあ。昔はきっと、何かを売るお店はその修理も担当していたんだろうけど、最近はどんどんそういうとこ、少なくなってきてるわけで。そして修理するより、新製品を買うのが簡単だしお金がかからない、ってことが多々。たぶん、その流れを象徴するのは携帯電話やコンピューター。
といってもこれは、人間の病を治す病院でなければ、動物病院でもない。その名も「壊れた物たちの病院」(the Hospital for Broken Things)。すべてがデジタル化されていくなかで忘れられ捨てられていくアナログな物たちを修理する病院である。(p.106;柴田元幸 ポール・オースター A to Z)
この病院の「院長」ビング・ネイサンに言わせれば、ベトナム戦争以降、「アメリカ」という理想はもうほとんど無効になったにもかかわらず、ひとつだけまだ、ほぼ全国民がしがみついている理念がある。それは「進歩」(progress)の理念である。ビングはこの理念に真っ向から反対する。負け戦だとはわかっている。でも、それを前提として受け容れた上で、携帯電話を避け、コンピューターを避け、週末はジャズバンドでドラムスを叩き、平日は病院を営む。(p.106)わたしもささやかながら、戦っています。自分で修理できるものは修理し、修理にだして直してもらえるものは直してもらってできるだけ長く使う。
時間やお金に換算すると完全に負け戦なのですが、心の充足度はなかなかのものです。あとデジタルというかコンピューターについてはもともと好きだからどうしようもなく、進歩とやらになんとなくついていくのかも。でも個人的にはスマートフォン、もしかしたら要らないかも。
Sunset Park Paul Auster
2013年11月3日日曜日
カメラを修理してみたら。
部屋の片づけをしてたら、ずっと使ってなかった二眼レフカメラが出て来ました。
ホコリまみれだし、フィルムいれて数枚とってそのまま放置。という、実にかわいそうな状態で、そんなふうにものを扱った自分も嫌になりつつ、なんでこんなことになってるんだっけ?と思い返してみると、そもそもこのカメラ、2007年の能登半島地震の時に棚から落下して故障。修理にだそうもこのカメラを買った中古カメラ屋さんは既になく、どうしたものかと思ってるうちに、だんだん自分もフィルムカメラで写真を撮らなくなり、さらにはもういっそ、iphoneのカメラだけでいいや、と、フィルムから遠のいているうちに、はたと気づくと、以前ブローニーフィルムを扱ってたお店ではもうフィルムの取り扱いがなくなり、さらにはメーカーの生産量が落ちてるとか、価格の高騰とか、戻ろうにも戻りがたいところに来ちゃったのかもしれないと気づきました。
だからといってこのカメラ、捨てられるかというと捨てられず、使えるものなら使いたい。と思いはじめた時に、何度かブローニーフィルムの現像をお願いしたことがある、金沢のスターカメラというお店だったらもしかして、と持って行ってみると、こころよく修理を受けつけてくれて一安心。
しかし。頼れるカメラおじさんはすこし悲しそうに、「レンズがね…。」と言葉を濁し、修理代金も当初言ってた額の半分以下。ホコリまみれだったカメラはすっかりきれいになり、部品のゆるみもなおりましたが、全て元どおりとはいかなかったよう。それでも、持ち歩くだけで、ファインダーをのぞくだけでもかなり嬉しく、iphoneを露出計がわりに昨日は何枚か写真を撮ってみました。
正直ちゃんと写ってるかは微妙。カメラ自体の問題もあるけど、操作方法わすれてるし、たぶん、ぼけぼけとか、何も写ってないとか、撮る側のいろんな問題ありそうですが、でも写真てそういうのが全部記録されるんだなあ、これが今のわたしだなあ、と、カメラもって写真撮って歩いてるうちに、記憶の整理がすすんでいくような、不思議な感覚に。
2007年春。能登半島地震はこのカメラをこわしただけでなくて、近くに原子力発電所があるというのがどういうことなのか、実感させてくれました。で、2011年春、ちょっとヒステリックなぐらい、原発のこと考えはじめたと同時に、全く写真が撮れなくなったわたしでしたが、このカメラを修理してもらったことで、心のなかの何かが修理されたような気持ちに。
レンズの傷は傷のまま、世界をみてみればいい。
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